時が進んで行くのだ
後世、わたしの子孫が頭の隅っこにインプットされたことは、そのうち流れてしまう。
彼の子孫はそんな事実を全く知らないまま。潔白なまま。
不公平だ、アタマに来る、と思うなら、裁判で訴える手もあるが、しない。
こんなかんじで、人と人、国と国は、解決されないままのいざこざ、揉めごとは、やがて紛争の火種を抱えたまま、時が進んで行くのだろう。
わたしは自分の代ではマイナス要素はできる限り持ち越さないことをこころがける
機械臂微創前列腺癌根治手術。
トラブルが怨みに発展しないように、気を付ける。
人に与える怨みは、なかなか消えない。
自分が抱える怨みは、ブログにでも書いて発散させる。
もちろん誰か特定できないように。
知人で、過去の行いを浄化しようとして仏門に入った人がいる。
人生の後半のある時期、思い立ったそうだ。
かなり強引な手法で、のし上がり成功を納めた人だが、事あるごとに、世の中に寄付をしたりして、清めようと頑張っておられる。
アーリーリタイアをして坐禅に励むブロガーさんもいるが、坐禅の境地とはちょっと毛色が違う。
人生、終盤戦に入り、あの世へ行く前の準備として、自分の垢や埃、汚れを落として、綺麗に身を清めようとするのだろうか
磁力共振 價錢。
そういう意味では、老後、何もすることがない退屈な人には朗報だ。
かなり忙しい。
ちょっとやそっとでは清められない。
今、わたしのアタマに浮かぶのは、書道のお稽古を兼ねて、写経。
単なるアイデアラッシュだけで、実際に実践するかどうかは別として。
仮に病気で体調が優れなくても、写経をしている時間だけは、身体の不調を忘れるかも。
逆に体調不良なら何もする意欲がなくなる可能性も大だ。
(どっちやねん)
話は脱線に脱線を重ねるが、
とりあえず、老後は、自分の汚れを落とすため、仏門研究を一つの課題にしよう
紮肚修身。
て、誰も興味ないと思うけれど。